今回は世界的に有名な日本の科学者、野口英世(のぐちひでよ)を取り上げます。
あの千円札の人?
野口英世は科学者として初めてお札に登場した人なんだ。
千円札にも描かれている野口英世(のぐちひでよ)の存在は、おそらく最もなじみのある偉人のひとりではないでしょうか。
世界的に有名な科学者という名声と、その人間臭いキャラクターとのギャップが魅力的なこともまた人気の理由。
今回はそんな野口英世から学べる処世術を紹介していきます。
目次
野口英世のプロフィール

名前:野口英世(のぐちひでよ)
生年月日: 1876年11月9日(明治時代)
生まれ: 福島県三ツ和村
仕事:医者・細菌学者
お金使うたびに見てるからすごい身近なんだけど‥どんな人なのか全然知らないw
まずは野口英世の生涯をサクッとみてみよう。
悔しさと闘う幼少期

1876年、野口英世は福島県の農家に生まれ、その名を清作(せいさく)と名付けられます。父親は飲んだくれでめったに家に帰ってこなかったため、母親がおんなで一人で子育てをしながら、朝から晩まで働くような家庭でした。
1歳になり、ハイハイができるようになった英世は、危ないものと知らずに囲炉裏(いろり:寒さをしのぐストーブのようなもの)に落ちて左手に大やけどを負ってしまいます。
左手のやけどのせいで、英世の指は手の平とくっついてグーの状態から開けなくなってしまいます。
当時病院に行って治療するお金がなかった母親は、手に障害を負った息子に農家を継ぐことは無理だと判断し、学問を身に着けてもらおうと、小学校に通わせることにします。
今では日本中のすべての子供たちは皆小学校に通うことができますが、当時はお金持ちの子どもしか通うことができなかったため、英世の母は朝から晩まで身を粉にして働き、英世の学校のために頑張ってお金を稼ぎました。
待って。しょっぱなからめっちゃ泣けるんだけど…
当時、村では夜になると池にオバケが出るといわれていたんだ。
でもそれは、夜中に冷たい池に入って翌朝市場に売りに行くための魚を獲る英世の母だったんだ。
英世の母は寝る間を惜しんで英世を学校に通わせてたんだ。
しかし、小学校で英世を待ち受けていたのは壮絶ないじめでした。
英世は勉強ができて成績もよかったのですが、農家の貧乏な家の子ということや左手に障害があることでまわりの子供たちからは毎日のようにいじめられ、それが辛くて英世はとうとう登校拒否をしてしまいます。
それでも母はそんな英世を叱ることはせず、泣いて「すまないすまない」と謝ります。幼い頃にやけどを負わせたのはわたしのせいだと母は英世にただただ謝るのでした。
「勉強に左手は関係ない」と母に言われ、英世は自分を奮い立たせてまた学校に通うことにします。
えらい!偉いぞ英世!がんばれ!
医学のすばらしさに気づく

15歳の頃、母のおかげで高等小学校に進学した英世は、自分の左手について書いた作文を発表しました。
やけどを負って左手に障害を負ったこと、それが理由でいつもいじめられていたこと、そんな自分の辛い過去を作文にして勇気をもって発表すると、先生やまわりの子どもたちはみんな涙し「英世の左手の治療のためにお金を集めよう!」と言ってくれました。
英世はみんなから集められたそのお金で、手術を受け左手の指が自由に動かせるようになりました。

医学の力が、自分の辛い過去を救ってくれた!医学ってすごい!と感動した英世は、医者になることを志すようになります。
みんなにカンパしてもらえるなんて、英世愛されてるねー!
上京したとたん夜遊び三昧

1896年、英世は医師免許をとるために担任の先生からもらった12万円を握りしめ、東京に上京してきます。
当時の東京は、田舎者の英世にとってはまるで天国。
なんとその12万円を遊郭(ゆうかく:キャバクラのような所)であっという間に使い果たしてしまいます。
は?
無一文になった英世は、歯科医師免許を取得していた先輩の血脇森之助(ちわきもりのすけ)にすがってお金を貸してもらいます。
血脇は自分もお金に苦労していましたが、英世の才能を認めていたため、英世にお金を貸すために自分の上司にお願いしてお給料を上げてもらうほどでした。
しかし英世の金遣いの荒さを知っていた血脇は、一気に貸さずに少しずつ分割して貸していたといわれています。
もー英世だいじょうぶかよ…
東京で遊んではいたものの、英世はちゃっかり勉強して医師免許をたった1年で取得してしまいます。(普通は数年かかる難しいものです)
医師免許を取ったものの英世はその後、伝染病の専門家の北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)が所長を務める伝染病研究所に入りそこで語学を生かして通訳として働きます。
ちなみにこの北里さんが新千円札に選ばれた人なんだ。
日本より進んだ海外の論文や、外国の研究者たちと触れ合ううちに、英世は研究に興味を持ち始め、いつしか渡米して最先端の研究を学んでみたいと思うようになります。
念願のアメリカ留学を果たす

英世は周りから150万もの大金を借りて、アメリカへの留学のチャンスをつかみます。
しかし…このお金もまた…
えちょっと…うそでしょ
…夜遊びで溶かしてしまったため、英世はまたもや血脇先輩に90万円の大金を借りて、ついにアメリカ留学を果たします。
英世はペンシルバニア大学に入学し、毒ヘビに関する論文を発表します。
その論文の内容が素晴らしいとアメリカ研究会で認められたことをきっかけに、英世はデンマークにわたりさらに勉強を重ねます。
1904年、英世が発表した梅毒(ばいどく)に関する論文が、世界的に認められ、英世の名前が学者たちの間で広まっていきます。
お金溶かすとかクズof theクズじゃん!
(…でも頑張り屋なとこが憎めない)
寝る間を惜しんで研究に没頭

1日3時間しか寝なかったといわれる超ショートスリーパーのフランスの皇帝・革命家であるナポレオンに憧れた英世は、彼を真似て毎日3時間しか眠らずに研究に励みました。
英世は膨大な数の実験から得たデータ収集を重視し、数百の試験管を使って数千のスライドを作るといった途方もない作業を重ねて実験を繰り返しました。
この気が遠くなるようなスタイルの英世を、当時の医学界は「まるで実験マシーンだ」「日本人は眠らない人種なのか」と揶揄していたようです。
そんな血のにじむような努力で英世は感染症研究分野でいくつもの成果を上げました。
- 1911年 梅毒スピロヘータの純粋培養(のちに否定)
- 1913年 梅毒スピロヘータを進行性麻痺・脊髄癆患者の脳病理組織内で発見
- 1913年 小児麻痺病原体特定(のちに否定)
- 1913年 狂犬病病原体特定(のちに否定)
- 1918年 エクアドルの黄熱病病原体特定(のちに否定)。ワクチンによりエクアドルでのワイル病流行が収束。
- 1926年 ペルー疣とオロヤ熱が同じ病気の症状であることを証明
- 1927年 熱帯リーシュマニア症の研究
- 1927年 トラコーマ病原体特定(のちに否定)
「のちに否定」って間違ってたってこと?
研究というのは前の説を否定することでどんどん進化していくもの。否定された研究もまた次の研究の発展に貢献しているんだ。
英世の努力する姿勢は世界中の学者たちからも認められ、いくつもの学位を獲得することになります。
- 1907年 ペンシルベニア大学名誉修士
- 1918年 エクアドル陸軍名誉軍医監 名誉大佐、グアヤキル大学名誉教授、キトー大学名誉教授
- 1920年 サン・マルコス大学名誉教授 名誉医学博士
- 1921年 ブラウン大学名誉理学博士、エール大学名誉理学博士
- 1925年 パリ大学名誉医学博士
そんな英世は名誉ある勲章もたくさん受けました。
- 1913年 勲三等(スペイン)、勲三等(デンマーク)
- 1914年 勲三等(スウェーデン)
- 1915年 勲四等旭日小綬章(日本)
- 1920年 ジョン・スコット・メダル名誉章(アメリカ)
- 1924年 レジオンドヌール勲章(フランス)
- 1925年 正五位(日本) コーベル賞牌
- 1928年 勲二等旭日重光章(日本)、防疫功労金牌(フランス)
何かよくわかんないけどすごいよ!お母さん喜んだだろうねー!
自らが感染症で死亡

1928年、アフリカで猛威を振るっていた黄熱病(おうねつびょう)を研究している間に、自分も黄熱病にかかってしまい病死してしまいます。
日本から遠く離れた地アフリカで、なすすべもなく命を落としていく人たちのために研究していたさなかの出来事でした。
そんな野口は日本でも英雄としてたたえられ、公に貢献した功労者として勲章が与えられました。
そして2004年以降、千円紙幣の肖像画になり、英世は日本の顔となりました。
うぅ…英世、よく頑張った!
野口英世から学ぶ処世術
科学者と言えば真面目な印象ですが、英世は夜遊び好きという人間臭さも相まってまた人としての魅力がある人物です。
そんな英世から学べることは、現代を生きる私たちにも多いはず。
負の感情を原動力にする

物心つく前から、英世はすでにハンディキャップを負っていました。
どうあがいたって変えられない過去に押しつぶされそうになりながらも、英世は母に支えられて逞しく育ちます。
偉ぐなるのが敵討(カダキウ)ちだ
野口英世
このいじめの経験は英世にとって大きな原動力になり、英世の人生にプラスに働くことになります。
誰にだって、忘れたい悔しくて悲しい過去はあるはずです。
それに蓋をしてなかったかのようにふるまうのもまた人生ですが、まるで敵討(かたきう)ちのようにがむしゃらに勉強し、努力した英世のように、その頃感じた痛烈な負の感情は、扱いようによっては強力なエンジンとなるのです。
自分の感情に火をつけて底力を発揮させるには、幼少期のこうした悔しい思いを利用してみることが効果的かもしれません。なにくそー!!って。
才能ではなく努力で勝負

野口英世は、遊び人ながらも医師免許をわずか1年でとってしまうなど「天才肌」な部分が見え隠れしますが、本人は「才能があるからできる」と言われることを否定しています。
英世にとって、自分の功績は血もにじむような努力の積み重ねだったと語ります。
努力だ、勉強だ、それが天才だ。誰よりも、3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ。
野口英世
天才発明家と呼ばれたエジソンもまた、英世と同様に寝る間も惜しんで研究に明け暮れていました。
この二人の共通点は「あの人は天才だよね」といわれている間も、人の何倍も努力をしていたということです。
センスはなくてもまずは、周りの人よりも2倍、3倍と努力してみることから始めてみたいです。
するとじきに「あいつはセンスあるから」と言われ始めるかもしれません。
どこか憎めないその人間性

英世の輝かしい功績とは裏腹に、彼のその堕落した私生活に衝撃を受ける人も多いかと思います。
ただ、そんな「クズ」と言われる英世でも、小さいころから担任の先生や、先輩、学者仲間たちから支えられて生きていることがよくわかります。
クズ男だけどでもどこか憎めない人間、それが英世のパーソナリティだったのかもしれません。
会社でもいませんか?人としてはダメダメなのに、なぜか周りからは期待され慕われ担がれて業績を上げる人。
もちろん英世のように努力家であることが前提ですが、困ったときに支えてくれるような甘えられる人達の存在は重要です。
野口英世のように多額のお金の貸し借りは良くありませんが、本当に困ったときに頼れる人がいることから得られる「心強さ」は人生においてとても重要ですよね。
野口英世からもっと学ぼう

偉人について学ぶには、子どもから大人までわかりやすくまとめられた集英社の「学習漫画」シリーズがおすすめです。
それぞれの努力と感動にみちた波乱の生涯がひとり1冊にまとめられていて、専門家が監修してるため内容も信頼できます。
偉人から学べることはまだまだたくさんあります。
ぜひ他の記事も参考にして明日から役立ててみてくださいね。
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プロフィール

asuka(30代)
twitter : asuka@麒麟を待つおんな
超ライトな歴史好き(歴史勉強中)
歴史は大人になってからの方が面白いと気付いた元日本史アレルギーのアラサーOL