今回は世界的に有名な天才発明家のトマス・エジソンを取り上げます。
エジソン!もちろん知ってる!
僕たちの暮らしのほとんどは、エジソンのおかげで成り立ってるんだ。
天才科学者として知られるトマス・エジソンは、今の社会を支える技術を次々と発明し、19世紀の豊かなアメリカの成長を支えた発明家のひとりです。
今回はそんなエジソンから学べる処世術を紹介していきます。
目次
トマス・エジソンのプロフィール

名前:トーマス・アルバ・エジソン
生年月日: 1847年2月11日
生まれ: アメリカ合衆国 オハイオ州
仕事:発明家・起業家
エジソンが発明したもの
- 白熱電球
- 電話
- キネトスコープ(映画)
- 映画用カメラ
- 蓄音機
夜を明るく照らす電灯や、映画、音楽など私たちの生活にはなくてはならないものを次々と生み出したエジソン。
やっぱ天才!
まずはエジソンの生涯をサクッとみてみよう。
小学校中退という学歴

エジソンの幼少期は、小学校を中退するという衝撃的なスタートから始まります。
「1+1=2」と教える先生に対して、エジソンは「1+1=2ではない」と言い返します。その証拠に2つの泥団子を持ってきて、そのふたつをぐしゃっとくっつけ「ほら、1+1=1じゃないか!」というのです。
怒った先生はエジソンの母親に対し「お宅のお子さんは脳が腐っている」と抗議しますが、子どもの疑問に答えてあげられない教師に憤慨した母親は、小学校を中退させることにします。
そこからエジソンは、母親に初等教育を教わることになりました。
てっきり大学もでてるエリートなのかと思ってたよ。
12歳でバイトを始める

エジソンは12歳(日本でいう小学高6年生)の頃に、アルバイトを始めました。
当時アメリカ大陸を横断していた鉄道の社内で、新聞を配るというバイトです。
鉄道に乗る人たちは皆出稼ぎに行く人たちのため、今のアメリカの経済や世界の動きがいち早く知れる新聞を欲しがりました。
また当時のアメリカは農業都市の南部と工業都市の北部との間で大規模な戦争(南北戦争1861年)が行われていたため、戦況を知るために新聞が飛ぶように売れた時代でした。
いち早くそのニーズを見極めたエジソンは、なんと自分ひとりでオリジナルの新聞を作り売り始めることにします。

地元の人が気になる商店街のお店のニュースや、世界の出来事をつかむとすぐに記事に書き起こし、社内で刷ったオリジナルの新聞をその場で売りさばいていたようです。
へぇー子どもの行動力とは思えん素早さ!
研究組織をまとめあげるリーダー
21歳になったエジソンは、当時アメリカで普及し始めていた電信技術に興味をもち、独学で学んだ末に技術者になります。
その後、4,000人もの研究者が働く巨大な研究所を作り、各分野から大勢のスタッフを雇い、彼らのアイデアをまとめる総監督になります。
たったひとりで研究に没頭したアインシュタインとは違い、エジソンは大きな組織を作って、効率的に複数のプロジェクトを進行したことで、数々のアイデアを生み出すことができました。
ひとりでアイデアを出してるんだと思ってた!たくさんの人が関わってたんだねー!
地道な改良の積み重ねからアイデアを生む

発明家と聞くと、これまでに全くない発想をひらめくこと(0を1にすること)が得意な人のイメージがありますが、エジソンはそうではありませんでした。
そんなエジソンのひらめきへの過程がわかるのが、エジソンと研究所の研究員たちとの交換ノートの存在です。
そのノートには研究員たちによって研究の過程が細かく記されており、それに対しエジソン自ら「ここをもっとこうしてみよう」などと指示やアドバイスを書き込むことで複数の研究員たちとコミュニケーションをとっていました。
そこには、1のものを、今日は1.01にして、翌日は1.02にするような気が遠くなるような細かい改善の過程が記されていました。
これもすごい意外。
発明家って才能よりも努力勝負なとこあるんだね。
エジソンは決して突飛なことをひらめくことにたけたアイデアマンではなく、今あるものを少しずつ改良して新しいアイデアを生み出すことにこだわり続けました。
天才とは、1%のひらめきと99%の努力である
エジソン
ストイックなほどに特許を取得

エジソンを語るうえで欠かせないのは、そう特許の取得です。
例えばAさんが先に電球のアイデアを思いついても、Bさんがそのアイデアを真似して特許を取得してしまえば、そのアイデアはBさんのものになってしまいます。Bさんは電球が生産されるたびに企業からアイデア量としてお金をもらえますが、Aさんはその権利を主張することすらできません。
企業からのお金がなくては食べていけない研究者たちにとっては、この特許の存在が命綱になることをエジソンは早くからわかっていました。
そのため、何かのアイデアを思いつくとすぐに特許を出願し、さらに翌日には少し形の違ったもので出願、翌日にはまたさらに少しだけ形が違うもので出願…とストイックなほどに取得し続けて、他のライバル研究者たちが手を出せないように完全にガードしていたんです。
たくさん特許を取ることでアイデアのひとつひとつを守ってきたんだね。
大量生産に負けた苦い経験

これまでにない商品を発明し、人々に新しいライフスタイルを提案するとき、必ず必要になってくるのは、企業にその発明を買ってもらえるかということです。
企業にその発明を選んでもらい、世の中に普及できれば、あとは寝ているだけでもお金が入ってくるため発明家としては大成功というわけです。
ただ、どんなに優れた発明でも、企業に選んでもらうには条件をクリアしていなければなりません。
- 大量生産できるコストの「安さ」
- 壊れにくい「耐久性」
- どんな人にも使いやすい「手軽さ」です。
1877年、エジソンは音楽や音声を録音・再生できる画期的な機械「蓄音機」を発明しました。
ただ、エジソンの蓄音機は、皆さんのあたまに浮かんでいるような円盤式のレコードではなく、缶コーヒーのような形の円筒型のレコードを使うタイプでした。
その円筒レコードには職人技が結集した高品質なもので、音質がとてもきれいでしたが、量産するにはコストが高く、手間もかかったため、あまり普及しませんでした。
一方、エジソンの発明をもとに別の発明家が1887年に円盤式のレコードを使った蓄音機を発明します。
この円盤式のレコードは、音質はエジソンの蓄音機に比べると負けるものの、何よりコストが安く大量生産に向いていました。
エジソンが最初に発明した商品も、後から改善されたライバルの発明の方が世の中から受け入れられ、結果市場競争に負けてしまうという苦い経験をします。
発電システムをめぐっても、エジソンの直流発電と、ライバル発明家テスラの交流発電の二つのアイデアで大激闘を繰り広げますが、結果エジソンは負けてしまいます。
エジソンも失敗してたんだね…
エジソンから学ぶ処世術
天才発明家と言われるエジソンの生涯は、実は泥臭い努力と失敗の積み重ねでした。
そんなエジソンから現代の私たちが学べることはたくさんあります。
世の中のニーズを察知する嗅覚

幼いころから、自分で新聞を発行し売り始めたエジソン。
それは大人たちのニーズをいち早く察知できた嗅覚を持っていたからです。
ビジネスチャンスは、何もないところからポンとでてくるような容易いものではなく、常日頃からアンテナを立てて、人々を観察し、どんな細かいことにでも疑問に思うことから始まります。
成功しない人がいたとしたら、それは考えることと、努力すること、この二つをやらないからではないだろうか。
エジソン
日常的にまわりを観察し「?」と思うことが貪欲に調べてみましょう。
小さなことから思わぬアイデアが生まれ、そこにビジネスチャンスが眠っているかもしれません。
まずやってみる行動力とスピード感

エジソンは幼少のころからその行動力とスピード感を身に着けていました。
ひとたび新聞が売れるぞとにらんだエジソンは、すぐに独自の切り口で記事を書き、新聞を発行して売り始めたことで、エジソンは幼いころから成功体験を得ることができました。
世の中にはどんなことでも「やってみる人」と「やらない人」の2種類の人がいます。
エジソンはぴんと着たらすぐに「やってみる人」でした。もちろん、やってみる人とやらない人とでは、成功をつかむ確率も全然違ってきます。
チャンスを感じたら、ひとまず深く考えずにとりあえずやってみましょう。
やらずに後悔するより、失敗・成功を経験から学ぶ方が大きな糧になります。
オリジナルにこだわらない

あの天才と呼ばれたエジソンですら、何もないところから突飛なアイデアを出すことは難しいことを知っていました。
彼はすでにあるものを研究し、よりよくする方法(改善する方法)を考えるプロでした。
プロジェクトやプレゼンを任されると人は、これまでにないような、オリジナリティを出そうと必死になります。
でも、まずはすでにある意見や、アイデアをまずは調べることからスタートし、それを今の世の中に合わせるにはどこをどう改良しようかと考えてみましょう。
全く新しいアイデアを出そうと悩んでいてもなかなか答えは出ません。
まずは今目の前にある、ありふれたものを見つめること、そしてそれを少しずつ改良することから始めてみよう。
失敗は「上手くいかない方法」の発見

エジソンは晩年をかけて、失敗に関する名言をいくつも残しています。
何通りもの実験を繰り返し繰り返し積み重ねる発明家にとって、時間をかけて実験してきたことが最終的に「失敗」に終わってしまう時の絶望が大きいからです。
ただエジソンは「失敗」を決して「失敗」では終わらせませんでした。
私は失敗したことがない。
エジソン
ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。
円盤式レコードでレコード戦争に負けた時、エジソンはその失敗から、発明には「品質」や「機能性」だけではなく、人々が欲しいと思うようなライフスタイルを提案する必要があることを学び、その後のスタイルを大きく修正するようになります。
仕事がうまくいかなかったとき、つい落ち込んで逃げたくなってしまいます。
ただ、エジソンは「なるほどこれはうまくいかなかったな」「じゃあ次はこうしてみようか」とすぐに軌道修正できました。
失敗は実験の一つの成果としてとらえ、次につながるばねに変えられるようにしましょう。
エジソンからもっと学ぼう
エジソンの発明を自宅にも

当時エジソンが発明した電球のデザインをそのままに、LED化した電球が発売されています。
偉人から学べることはまだまだたくさんあります。
ぜひ他の記事も参考にして明日から役立ててみてくださいね。
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プロフィール

asuka(30代)
twitter : asuka@麒麟を待つおんな
超ライトな歴史好き(歴史勉強中)
歴史は大人になってからの方が面白いと気付いた元日本史アレルギーのアラサーOL