今回は幕末の日本で活躍した坂本龍馬(さかもとりょうま)を取り上げます。
龍馬知ってる!夜明けぜよの人!
圧倒的な人気を誇る幕末の志士だね。
坂本龍馬は幕末の志士として、激動の日本の未来のために国内の有力者たちとわたり歩いた青年です。
わずか33歳の若さで暗殺されたことも相まって、日本では数々のドラマや小説で扱われその人気は不動の存在となりました。
今回はそんな坂本龍馬から学べる処世術を紹介していきます。
目次
坂本龍馬のプロフィール

名前:坂本龍馬(さかもとりょうま)
生年月日: 1836年1月3日
生まれ: 土佐(とさ・今の高知県)
仕事:元土佐藩士・ビジネスマン


きゃー♡イケメンに描かれてるんだねー!
まずは龍馬の生涯をサクッとみてみよう。
江戸幕府を倒そうと立ち上がった青年

1853年、ペリーの黒船が来航したことをきっかけに、日本は外国の脅威にどう対処すればいいのか大いに揺れ動いていました。
- 開国なんてありえない!外国は武力で追い払うべきだ!という考え方
- 開国して外国と仲良く!外国に武力で勝てるはずがない!という考え方

力を失いつつあった当時の江戸幕府は、ペリー黒船からの大砲を受けて恐れおののいた結果、アメリカとの不平等な条約を結び開国することになります。
この江戸幕府の弱腰の行動をうけて国民たちは「このままではいけない」と立ち上がり、江戸幕府を倒せ!という「倒幕(とうばく)」の動きに流れていきます。
特にその倒幕の中心にいたのが、長州藩(ちょうしゅう・山口県)と、薩摩藩(さつま・鹿児島県)。この2つの勢力が江戸幕府を倒した後の権力をめぐって内乱を繰り返す激動の時代でした。
坂本龍馬もまた、土佐(とさ・今の高知県)で倒幕のために立ち上がったひとりでした。
大変な時代だったんだね…!
それまで閉じていた外交を無理やりこじ開けられて、突然外国の脅威にさらされた日本は大混乱だったんだ。
勝海舟との出会いで価値観が変わる

日本中が揺れ動く中、坂本龍馬もまた外国に対して弱腰な態度をとる幕府に対して腹を立てていました。
「戦になったら異国人の首を打ち取って戻ってきます」と姉に伝え、龍馬は故郷を捨てて、江戸(えど・今の東京)にいる江戸幕府の役人、勝海舟(かつかいしゅう)に会いに行きました。
勝海舟は当時の幕府で日本の軍隊を仕切っていた重要人物。一説に龍馬は勝海舟を殺しに行く覚悟だったといわれています。
外国の言いなりになる幕府も、黒船をやっつけないあなたの海軍も腰抜けじゃ!
今戦っても負けて植民地になるだけだ。
今の日本には外国と対等に戦える強い海軍が必要だ。違うかい?
そ、そうじゃが…
強い海軍を作るには金が要る。金をつくるには外国と貿易することが必要だ。一刻も早く開国して武器をたくさん手に入れねばいけない。
たしかに…
日本人同士でつまらん内紛なんかしてる場合じゃない。今こそ日本が一致団結して外国と貿易して稼がないといけない時なんだ。
か、勝海舟先生!ついていきます!
冷静に日本の在り方を見据えていた勝海舟は、ただやみくもに幕府を批判する龍馬を諭し、今こそ開国することで外国に対し強い日本にならなくてはならないと説得しました。
そんな勝海舟に心を打たれ、龍馬は弟子となることを決め、日本の国防を担う海軍と、その資金集めに翻弄するようになります。
幕府倒すはずが、幕府の役人の弟子になるの急展開w
勝海舟の出会いが龍馬の人生を大きく変えたんだ。
貿易会社を立ち上げ武器を仕入れる
実は今日の大河ドラマの龍馬プレゼンの肝は、ミニエ銃の「威力」ではなく、「照門を立ててること」。旧型滑腔銃の丸玉は直進性に乏しく、狙って当たるようなものではない。そのため戦列歩兵で弾幕をつくる戦術が生まれた。ミニエ・ライフルで銃は初めてまともに当たるようになったのである。 pic.twitter.com/xf5pUjhlJD
— OGAWA Kandai (@grossherzigkeit) August 26, 2018
龍馬が目を付けたのは、倒幕派の中心となっていた薩摩藩の西郷隆盛(さいごうたかもり)。
当時外国との貿易は幕府が取り仕切り、利益を独り占めしていたことを引き合いに出し、龍馬は西郷に対してこう提案します。
外国に対して強い国であるにはまず金がいる。
薩摩藩が船と金を出してくれれば、わしが代わりに貿易をして稼ぎ、売上を薩摩藩に渡すことができる。
龍馬の提案を受け入れた西郷隆盛の支援により、1865年龍馬は日本最初の貿易会社「亀山社中」を立ち上げ、外国から大量の武器を買い込みます。
その間も、倒幕過激派の長州藩と薩摩藩の間では内戦が絶えませんでした。
幕府とも戦争をすることで孤立してしまった長州藩の桂小五郎(かつらこごろう)のところにも龍馬は走っていき、こう提案します。
今幕府と内乱しても長州は負ける。倒幕のためには武器がいるじゃろ?わしの会社を通じて薩摩藩から武器を買うことができる。
一方、薩摩藩の西郷には
薩摩は米不足のようじゃのう。長州には米がたくさん余っているようじゃ。長州に武器を売る代わりに長州から米を買ってはどうじゃ?
それまで宿敵同士で戦が絶えなかった長州藩と薩摩藩を、互いに利益のある現実的な方法で引き合わせ、龍馬は1866年「薩長同盟(さっちょうどうめい)」成立を成功させました。
すごい交渉上手!
戦わずして新政府を立ち上げる
今年は大政奉還150周年。これから数年は明治維新イヤーが続く。 pic.twitter.com/lNzm24HIEJ
— 玉置泰紀 KADOKAWA2021年室EP (@tamatama2) December 31, 2016
国内で戦争をしなくても、新政府を立ち上げる唯一の方法が、江戸幕府が政治を行う権利(大政)を、天皇に返す(奉還)「大政奉還(たいせいほうかん)」でした。
龍馬はこの、大政奉還によって新政府を立ち上げ外国との脅威に立ち向かおうとします。
龍馬が船の上で仲間たちと一緒に作り上げたこの国のあるべき方針「船中八策(せんちゅうはっさく)」は、後の明治政府が立ち上げる方針である「五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)」のもとになりました。
- 江戸幕府は政権を朝廷に返すこと
- 上下の議会を置き、すべて公論に基づいて政治を行うこと
- 公卿・大名ほか世のすぐれた人材の中から顧問を選ぶこと
- 新しく国家の基本になる法律(憲法)を定めること
- 外国と新たに平等な条約を結び直すこと
- 海軍の力を強めること
- 親兵を設けて都を守ること
- 金銀の比率や物の値段を外国と同じにするよう努めること
龍馬が定めたこの8つの方針の一つ目にある通り、この後幕府の役人と諸大名たちが裏で交渉を繰り返し、1867年に大政奉還が成立します。
しかしこの大政奉還の翌月、龍馬は仲間たちと共に何者かの手によって暗殺されてしまいます。わずか33歳の若さでした。
え…龍馬殺されちゃうんだ…
若くして殺されてしまったことも相まって、龍馬はヒーロー視されるようになったんだよ。
坂本龍馬から学ぶ処世術
幕末の激動の日本を支え、各地で翻弄した坂本龍馬。
龍馬が現代にいたっても人気が高いのは、彼から学べることがたくさんあるからかもしれません。
自分にない考えを取り入れる柔軟性

もともと武士と言えば、自分の考えに合わないものは切って捨てるという頑固考え方が当たり前でした。
しかし、龍馬は討ち果たそうとして訪ねた先の勝海舟に対して、相手の考え方の方が自分よりすぐれているとわかると、素直にこれまでの考え方を転換し受け入れる柔軟性を持っていました。
誰にだって「〇〇はこうあるべきだ」という思い込みやこだわりはありますが、一度冷静になって考えてみると他にもっといい方法があるかもしれない…ということに気づくことはあります。
ところがこれまでの自分の考えを変え、それを素直に受け入れるということはなかなかそう簡単にできることではありません。
ただ、ひとつの目的を達成するための手段は、いくつもあることもまた確かです。
これまでの思い込みやこだわりを一度客観的に見てみましょう。
目的を達成するための他の方法も模索し、柔軟に受け入れるようにしてみましょう。
体裁や伝統よりも現実を重視

龍馬は国の未来のためにと各地のリーダーたちを訪ね、熱心に説得することをあきらめませんでした。
そんな大きな藩をまとめ上げる武士たちのプライドを理解しながらも、その武士としての伝統や部下に対する体裁よりも、現実的な未来を提案し続けたことに大きなポイントがあったと思います。
誰だって守り抜きたいものや貫きたい信条はあります。
龍馬はそれをわかりつつ、「もっとこうしたら勝てる」「こういう方法もある」と現実的な策を提案することで日本を動かすきっかけを作ることに成功します。
これまでの伝統やしきたりに縛られることなく、目の前の現実に対処するためには何が一番いいかということを冷静に考えてみましょう。
そのためには、ライバルと手を組んだり、一度は負けてみたりなど、様々な手段があることを知っておきましょう。
坂本龍馬をもっと知ろう
江戸幕府を倒すきっかけを作り、新しい日本を目指した坂本龍馬の激動の生涯を追う伝記まんがの決定版!
いかがでしたでしょうか?
偉人から学べることはまだまだたくさんあります。
ぜひ他の記事も参考にして明日から役立ててみてくださいね。
合わせて読みたい
プロフィール

asuka(30代)
twitter : asuka@麒麟を待つおんな
超ライトな歴史好き(歴史勉強中)
歴史は大人になってからの方が面白いと気付いた元日本史アレルギーのアラサーOL