今回は、2024年から福沢諭吉(ふくざわゆきち)にかわり、新1万円札の新たな顔に選ばれ、さらに2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け(せいてんをつけ)」でも主人公となる渋沢栄一(しぶさわえいいち)を取り上げます。
へー知らないなぁこの人
渋沢栄一は明治時代に近代的な日本を作ったすごい人なんだ
日本に資本主義を持ち込み、数々の企業を手掛けた日本を代表する政治家であり実業家。
今回はそんな渋沢栄一から学べる処世術を紹介していきます。
目次
渋沢栄一のプロフィール

名前:渋沢栄一(しぶさわえいいち)
生年月日: 1840年3月16日 (江戸末期)
生まれ: 埼玉県 深谷市(ふかやし)
仕事:政治家・実業家
日本で初めての株式会社を設立し、日本で初めて「銀行」を立ち上げるなど明治時代の日本を支えた。

吉沢亮出演 大河ドラマ
— 多花幸 🌸🌸🌸 (@takayuki0078739) November 17, 2019
『晴天を衝け
#晴天を衝け #渋沢栄一 pic.twitter.com/T7yN4BsUXA
2021年の大河ドラマ「青天を衝け」は渋沢栄一が主人公。
そんなにすごい人なの?
まずは渋沢栄一の生涯をサクッとみてみよう。
500社以上の企業に関わった実業家

- みずほ銀行:日本で1番最初の銀行
- 東京ガス
- 東京証券取引所
- キリンビール
- 札幌ビール
- 東急電鉄
- KDDI
- 王子製紙
- IHI.
- いすゞ自動車
- 太平洋セメント
- 清水建設
このほかにも日本赤十字社や、一橋大学など様々な社会公共事業にもかかわったんです。
えええー!すごいじゃん渋沢!
若い頃から論語に親しむ

古代中国から長く伝わり、儒教(じゅきょう)として江戸時代の日本に深く浸透した「論語(ろんご)」は、日本に確固たる宗教がなかった当時、いわば道徳の教科書のような存在でした。
渋沢栄一は幼少期からそんな道徳のバイブル「論語」に触れ、道徳観を身に着けていました。
この幼少期の経験がのちの渋沢栄一の人生に大きな影響を与えることになります。
論語は徳川家康(とくがわいえやす)も勉強して政治に取り入れたんだ。今も経営者の必読書とされている本だね。
激動の日本を生きた渋沢栄一

渋沢栄一が生きた日本は、国家としての在り方をめぐり内紛が絶えない激動の時代でした。
1853年ペリーの黒船来航をきっかけに、日本では外国の脅威に対する姿勢をめぐり考え方が真っ二つに分かれ、それが理由で日本の中で戦争が起きていました。
とくに西日本の力を持った倒幕(とうばく)派「外国なんて追い払って戦おうぜ派」と江戸幕府の「外国は怖いから外国の言いなりになっとこう派」の2つの勢力に割れていました。
倒幕派は、長州藩(ちょうしゅうはん・今の山口県)の木戸孝允(きどたかよし)と薩摩藩(さつまはん・今の鹿児島県)の西郷隆盛(さいごうたかもり)たちが団結し作られ、江戸幕府を倒して強い日本を取り戻そう!という動きが沸き起こります。
渋沢はそんな激動の日本を生き、倒幕派の一員として江戸幕府を批判し新しい日本の在り方を考えるようになります。
渋沢はアンチ江戸幕府だったんだね。
思いがけず江戸幕府の役人になる

ひょんなことから友人の紹介で徳川家の血をひく一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)の下で働くようになった渋沢。
そんな自分の上司である慶喜が一躍、江戸幕府の将軍(第15代将軍・徳川慶喜)に出世したことをきっかけに、思いがけず江戸幕府の幕臣(ばくしん・幕府で働く公務員)となります。
渋沢はそこで日本の未来を考える幕府に勤める政治家の一員として政治にかかわることになります。
え?アンチ江戸幕府だったのに?急展開!
当時はそれくらいみんなが2つの考え方の間で揺れていたんだ。
フランスで資本主義を学ぶ

1867年、そんな幕府の役人としてフランス・パリで開かれた「パリ万博」の使節団(しせつだん)として1年半もの間フランスやヨーロッパを視察することになります。
当時のヨーロッパは産業革命で目まぐるしい発展を遂げていたため、渋沢にとってこの経験は人生を変えるほど、刺激的だったことでしょう。
ヨーロッパ各地で渋沢は、当時の日本にはまだない先進的な軍事や、産業、そして株式会社制度を学びます。
当時は海外での経験ってやっぱり大きいんだね。
幕末の日本を支えた勝海舟も同じように留学をして刺激をうけたように、当時のヨーロッパは日本の目指すべき姿だったんだ。
明治政府では大蔵省に勤める

渋沢がヨーロッパから帰国した日本では、大きな変革が起きていました。
1867年の大政奉還(たいせいほうかん・江戸幕府将軍が政権を天皇に譲ったこと)をうけて、上司だった江戸幕府将軍徳川慶喜が静岡に追いやられていました。
渋沢はこれまで通り慶喜の下で働こうとしますが、慶喜は渋沢に対し「自分の好きなことをしなさい」と言います。
そんな渋沢に声をかけたのが江戸幕府に代わり政治を行う明治政府の役人だった大隈重信(おおくましげのぶ)です。
渋沢は大蔵省に勤めて大隈と共に、郵便制度、廃藩置県、戸籍法、鉄道開業、新貨幣(円)、富岡製糸場、国立銀行条例、地租改正など様々な制度を立ち上げ、日本の近代化に貢献します。
なんか教科書で読んだことあること全部してる気がする…!
役人を辞めて実業家になる

大蔵省を辞めた渋沢は、政界を離れてその後は経済界に身を置くことになります。
役人を辞めた後の渋沢は、自分がもつビジネスセンスと、フランスで学んだ株式会社制度を生かして、次々と企業の設立を手掛けていきます。
今のみずほ銀行(第一国立銀行)のほか、東京海上日動火災保険、王子製紙・日本製紙)、東急グループ、太平洋セメント、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンホールディングス、サッポロホールディングス、東洋紡、大日本製糖、明治製糖などなど…
今でも日本の大企業として存在する様々な業種の企業の創立に関わり、その数は500以上と言われています。
うひゃー!こりゃスゴイ人だ!お札に選ばれるのも納得。
でも渋沢の本当のすごさはその道徳観だったんだ。
渋沢栄一から学ぶ処世術
ひとりの人が成し遂げた功績にしては多すぎる…!
常人技とは思えないほど、とにかく様々な事業を成功させた渋沢栄一とは、一体どんな考えを持った人だったのでしょうか?渋沢栄一から学ぶ処世術をご紹介していきます。
道徳とビジネスは2つでひとつ

渋沢栄一は「道徳とビジネスはセットであるべき」という考え方を生涯にわたって貫いています。
それは彼の著書『論語と算盤(ろんごとそろばん)』にもあるように、論語(道徳)と算盤(ビジネス)は必ず一緒であるべきという意味です。
つまり、道徳だけではダメ。しかし同時に道徳を欠いたビジネスもまたダメということです。
自分の欲のためだけにズル賢く稼いで得るビジネスはあってはいけない。そのビジネスは必ず、みんなのためになっていないといけないということです。
智・情・意のバランス

渋沢栄一はこの「智・情・意(ち・じょう・い)」の3つを備えた人こそ、「全き人(まったきひと)」つまり完璧な人だといっています。
智:知恵を身に着けること
情:情愛があること
意:強い意志があること
強い意思のある人が、勉強して知恵を身に着け、そのうえで情愛をもって人々に分け与えていく。
これができる人こそ、完璧な人という考え方で、これのどれか一つが欠けていては完璧ではないんだと。
渋沢がここで強調するのは、渋沢のいう「完璧な人」と「偉い人」は違うという点です。
権力を持った人の中には、強い意志と情愛はあってもそのための知識がない人もいます。
知識と情愛があっても、意思がなく誰かに担がれているだけの人もいます。
強い意志とそのための知識はあっても、人々に分け与える情愛に欠ける人たちもいます。
大切なのはこの3つのバランスだということです。
視・観・察の目で人を見極める

渋沢はさまざまな企業の創立に関わった経験を活かし、人を見る目の大切さを教えてくれています。
人を見る時は必ず「視・観・察(し・かん・さつ)」3つの視点で見ること。
視:その人の見た目や「行動」
観:その人とる行動の裏にある「動機」
察:その人が何に喜びを感じるかという「真意」
例えば、毎日熱心に地元を回り、地元の人たちの意見に耳を傾けてくれる政治家がいたとしましょう。この政治家の「行動」は好感をもてます。
ただ、その行動をとる「動機」を見てみるとどうやら選挙が近いことが背景にあることがわかりました。つまり選挙に当選することが「動機」ということがわかります。
さらに、その政治家は毎晩高級クラブに通い、自分の権力を利用して美女を連れて飲み歩いていることがわかりました。これがこの政治家の「真意」と判断されます。
渋沢は、ただ人の良い行動や見た目だけでその人を判断してはいけないということを私たちに教えてくれています。
またそれは反対に、自分自身もまた周りからこの3つの視点で見透かされているんだよということを示唆しています。
まずは「論語と算盤」に触れてみよう
ビジネスを成功させる秘訣は論語にある。日本実業界の父が語る必読の名著。
いかがでしたでしょうか?
偉人から学べることはまだまだたくさんあります。
ぜひ他の記事も参考にして明日から役立ててみてくださいね。
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プロフィール

asuka(30代)
twitter : asuka@麒麟を待つおんな
超ライトな歴史好き(歴史勉強中)
歴史は大人になってからの方が面白いと気付いた元日本史アレルギーのアラサーOL