今回は武将人気不動の1位、泣く子も黙る織田信長(おだのぶなが)を「取り上げます。
あ!ホトトギス殺しちゃう人だ!
そ、そうだね。笑
室町幕府を倒幕し、尾張(おわり:愛知県)から天下統一の野望を抱いた日本史上もっとも強烈なリーダー 織田信長(おだのぶなが)。
今回はそんな織田信長から学べる処世術を紹介していきます。
目次
織田信長のプロフィール

名前:織田信長(おだのぶなが)
生年月日:1534年6月23日
生まれ: 尾張(おわり・今の愛知県名古屋市)
仕事:武将・戦国大名
家紋:木瓜(もっこう)

まずは信長の功績をサクッとみてみよう。
織田信長はココがすごい

そんな信長の武勇伝を紹介しよう。
桶狭間の戦いで勝利

桶狭間の戦いは当時東海地方を牛耳っていた今川義元(いまがわよしもと)に「桶狭間の戦い」の勝利が信長を一躍有名にしたデビュー戦。
敵の今川軍に対して織田軍は1/10の兵力しかなかったようですが、今川軍が休憩している隙をついて攻め込むという独特の手法が有名ですね。
この戦での勝利が、一躍信長の名を日本中に知らしめることになりますが、注目したいのは、この戦の後にとった信長の行動。
この時代は、戦が終わると戦いで活躍した武士に褒美を与える習慣があります。
普通は敵の首を勝ち取った者をMVPとたたえるところを、信長は「敵が休憩している」という情報を持ってきた見張り役に1番の褒美を与えたと記録されています。
サッカーでいうゴールを決めた人はなくて、情報を持ってきた人に褒美を与えたんだね。
このことから信長が何を大切にしていたかが見えてくるよね。
比叡山・延暦寺の焼き討ち

信長の残虐さが垣間見えるのがこの「比叡山・延暦寺の焼き討ち」です。
今でこそ神社やお寺は街にひっそりと溶け込んでいますが、戦国時代では天皇や大名も口出しできないほど権力を持っていた一大宗教勢力でした。
そして彼らは、キリスト教を保護する織田信長を敵対し何度も一揆をおこしていました。
信長はこういった強大な仏教勢力を徹底的に弾圧します。
比叡山延暦寺の焼き討ちは女性や子供関係なく首を切るように命じた信長の「残虐さ」を表す事件として語られています。
この残虐な任務を任されたのが、ご存知明智光秀(あけちみつひで)ですね。
これってちょっとやり過ぎじゃない?恨みかいそう…
信長のこの徹底した破壊は良くも悪くも周りに大きな影響を与えたんだ。
長篠の戦で武田家に勝利

長篠の戦は、長野や静岡を治める大名武田信玄(たけだしんげん)の息子、武田勝頼(たけだかつより)を倒した戦いとして信長史上有名な戦のひとつです。
絵画にあるように、馬の侵入を防ぐ馬防柵(ばぼうさく)を構え、ポルトガルから伝わってきたばかりの最新武器「鉄砲」を駆使して闘いました。
当時の武田軍は日本一と恐れられる最強の騎馬(きば)隊で有名でした。
「負け知らず」でその名をとどろかせていましたが、鉄砲の前ではその戦力もむなしく織田軍に敗れてしまいました。
武士たちを鉄砲でうつのはなんだか卑怯な感じだなぁ
信長が本格的に戦で鉄砲を使いだしたことで日本の戦がかわっていったんだ。
織田信長から学ぶ処世術
大胆な戦略を次々と打ち出した信長。
そんな彼から現代の私たちが学べることはたくさんあります。
既得権益を徹底的に破壊

目的のためならどんなものでも徹底的に破壊する。
これが織田信長のモットーであり、ルールでもありました。
これまでの伝統や古い習慣が、世の中を納めるために邪魔と判断をすれば、とことん破壊していくのが信長流でした。
もちろん、ここで気を付けないのはむやみやたらに古いものを排除するという考えではありません。
事実、信長は伝統や礼儀を重んじるという大名としての基本をきちんとわきまえていた人でした。
伝統や古い習慣の価値をきちんと理解しながらも、そのせいで世の中が停滞するのであれば容赦なく破壊できる大胆さがありました。
あなたを取り巻く組織やシステムが、本当にベストなスタイルか考えてみましょう。
現状を維持し、前例を踏襲することで機能していないのであれば切り崩す勇気を持ちましょう。
実力でのみ人を見る

織田信長は徹底的な実力主義者であり、現実主義者であるという特徴があります。
「意味がない」と判断したものは次々と廃止していった背景は、この合理的な考え方からくるものだといわれています。
当時の日本は、身分制度や肩書で人の価値が決まる時代。
生まれ次第で人の一生が決まってしまうことが当たり前の時代でした。
信長はそんな身分制度を破壊し、立場や組織、肩書にとらわれず、仕事のできる人にできることをやらせました。
信長の家臣、豊臣秀吉(とよとみひでよし)や、明智光秀(あけちみつひで)は、信長に実力を認められて大出世を果たした人たちです。
信長は戦で負けて土地を追いやられた流浪人たちを束ね兵力にしたり、今でいう派遣社員のような足軽と呼ばれる人たちをお金で雇い戦に参加させたりしました。
身分が低くても頭がよく実力がある人を積極的に自分のそばにおき、最強のメンバーでもって勝負に出たのです。
これは聖徳太子(しょうとくたいし) も取り入れた方法ですね。
古い考え方を破壊

目に見えるものしか信じないリアリストだった彼は、皆が盲目的に信じ込んでいた仏教を否定しました。
国の混乱をいいことに、神様を利用して民衆から金と名声を集めることで力をつけてきた宗教集団が信長には許せなかったのかもしれません。
しかし、信長は同時に宗教のもつ底知れない力を理解していました。
だからこそビジネスライクにキリスト教を受け入れ、その引き換えに鉄砲を大量に輸入したといわれています。
大胆なのは情報を持っていたから

大胆な行動力で知られる織田信長ですが、豪快な行動を裏付けていたのは彼のストイックなほどの情報収集能力があったからこそできたことでした。
長篠の戦いでは鉄砲こそ注目されていますが、実は事前に「敵の中に裏切り者が出た」という内容の偽の手紙を書き、敵を混乱させたこともこの戦での勝敗を分けたといわれています。
目的(勝利)のためなら、どんな姑息なやり方でも手段を択ばない。
彼は戦では情報が制することを誰よりも知っていたといわれています。
本能寺の変で自害?

織田信長は天下統一を目指し、部下たちの軍を全国に派遣して戦わせていました。
自らも戦場へ向かう途中、いつも通り京都にある本能寺(ほんのうじ:当時はホテルのように使っていた)でひと休みしていたところ、なんと岡山県に向かうはずであった部下の一人の明智光秀(あけちみつひで)が本能寺に軍を連れて押しかけ、信長は燃え盛る本能寺で自害させられてしまったのです。

「敵は(岡山ではなく)本能寺にあり」と言って明智が自分の兵を京都へ向かわせたこのセリフはとても有名ですね。
この「本能寺の変」は日本史史上最大のミステリーと言われていて、今でも誰が明智のバックにいたのか、本当の黒幕は誰だったのかについて、50を超える説があるといわれています。
「麒麟がくる」で描かれる信長の生涯

2020年放送の大河ドラマ「麒麟がくる」では、本能寺の変で主君を殺した明智光秀目線で織田信長の生涯を見ることができます。
ラストの本能寺の変シーンの演出は、大きな話題を呼びました。
これまで放送された「麒麟がくる」は「NHKオンデマンド」と提携している動画配信サービス「U-NEXT」で全話配信されています。
「NHKオンデマンド」を31日間無料で試せるのはU-NEXTだけなので、まずは無料で試したいという人にぴったりです。

↑U-NEXTに移動します(31日間無料体験中に解約すれば料金はかかりません)

大河ドラマ「麒麟がくる」DVDも発売中です。
メイキングなどの特典映像もあるのでお勧めです。
織田信長から経営を学ぼう
戦国時代の武将、織田信長はいかに部下を採用、育成し、最強軍団を作ることができたのかが書かれています。
日本のビジネスマンよ、織田信長に学べ! 戦国時代一の切れ者、織田信長が現代に蘇り、悩めるビジネスマンたちの為に経営塾を開いた。信長の生き方、戦い方に、動乱の世を勝ち抜いていく方法を学ぶ。(amazonより)
いかがでしたでしょうか?
偉人から学べることはまだまだたくさんあります。
ぜひ他の記事も参考にして明日から役立ててみてくださいね。
合わせて読みたい
プロフィール

asuka(30代)
twitter : asuka@麒麟を待つおんな
超ライトな歴史好き(歴史勉強中)
歴史は大人になってからの方が面白いと気付いた元日本史アレルギーのアラサーOL