織田信長から学ぶ破壊力

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今日はこの人から学びます。

室町幕府を倒幕し、愛知県から天下統一の野望を抱いた日本史上もっとも強烈なリーダー   織田信長(おだのぶなが)。  

今回はそんな織田信長から   現状を打破する「破壊力」   を学びたいと思います。

ついに来ました!織田信長!

あー!ホトトギス殺しちゃう人でしょー!

(んー間違ってはない…)

そう、日本人の好きな戦国武将No.1である織田信長は中世の日本を近世へと転換させた   「改革者」として有名。  

古い体制をことごとく破壊し、戦国の世を束ね、「天下統一」を夢見たリーダーだ。

織田信長はココがすごい

ガイダンス, グローブ, ナビゲーション
外国文化を積極的に取り入れ日本を中世から近世にシフトさせた
身分や肩書にとらわれない実力主義者
戦は武力ではなく情報戦ということを知っていた
身分や肩書にとらわれない実力主義者
誰でも扱える鉄砲を駆使してそれまでの戦を変えた
関所や通行税を撤廃し楽市楽座を実施し経済を活性化させた
政治と宗教を分断し、比叡山を焼き討ちにした

そんな信長の武勇伝を紹介しよう。

桶狭間の戦いで勝利

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「桶狭間今川義元血戦 」中心にいるのが隙を突かれて慌てる今川義元です

桶狭間の戦いは当時東海地方を牛耳っていた今川義元に 「桶狭間の戦い」の勝利が信長を一躍有名にしたデビュー戦。 

敵の今川軍に対して織田軍は1/10の兵力しかなかったようですが、今川軍が 休憩している隙をついて攻め込むという独特の手法  が有名ですね。

この戦のあとにとった織田信長の行動も有名です。戦が終わると、活躍した武士に褒美を与える習慣があります。

普通は敵の首を勝ち取った者をMVPにたたえるところを、信長は「敵が休憩している」という情報を持ってきた 見張り役に1番の褒美を与えた  と記録されています。

ゴールを決めた人はなくて情報を持ってきた人に褒美を与えたんだね。

このことから信長が何を大切にしていたかが見えてくるよね。

比叡山・延暦寺の焼き討ち

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信長の残虐さが垣間見えるのがこの 「比叡山・延暦寺の焼き討ち」です。 

今でこそ神社やお寺は街にひっそりと溶け込んでいますが、戦国時代では天皇や大名も口出しできないほど 権力を持っていた一大宗教勢力でした。 

そして彼らはキリスト教を保護する 織田信長を敵対し何度も一揆をおこしていました。 

信長はこういった強大な 仏教勢力を徹底的に弾圧します。 

比叡山延暦寺の焼き討ちは女性や子供関係なく首を切るように命じた信長の 「残虐さ」を表す事件として語られています。 

これってちょっとやり過ぎじゃない?恨みかいそう…

信長のこの徹底した破壊は良くも悪くも周りに大きな影響を与えたんだ。

長篠の戦で武田家に勝利

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絵画における長篠合戦

長篠の戦は、長野や静岡を治める大名(風林火山で有名な)武田信玄の息子、武田勝頼を倒した戦いとして 信長史上有名な戦のひとつです。 

絵画にあるように、馬の侵入を防ぐ馬防柵(ばぼうさく)を構え、ポルトガルから伝わってきたばかりの 最新武器「鉄砲」を駆使して闘いました。 

当時武田軍は 戦国最強の騎馬隊。 

「負け知らず」でその名をとどろかせていましたが、鉄砲の前ではその戦力もむなしく 織田軍に敗れてしまいました。 

武士たちを鉄砲でうつのはなんだか卑怯な感じだなぁ

信長が鉄砲を使いだしたことで日本の戦をガラリとかえていったんだ。


織田信長から学ぶ破壊力

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目的のためなら どんなものでも徹底的に破壊する。 

これが織田信長のモットーであり、ルールでもありました。

 伝統や古い習慣をとことん破壊していく  彼のこの強引なスタイルは、まるで少年漫画の主人公的キャラクターのようで、現状維持が得意な 日本のサラリーマンが憧れてしまう  というのもなんだか納得できますよね。

古い身分制度を徹底的に破壊

おめでとう, ジョイントベンチャー, チームワーク

織田信長は徹底的な実力主義者であり、現実主義者であるという点です。

 目に見えないものを嫌い  古くからある 伝統やつまらない習慣を嫌いました。 

当時の日本は身分制度や肩書で人の価値が決まる時代。

生まれ次第で人の一生が決まってしまうことが当たり前の時代でした。

信長はそんな身分制度を破壊し、 立場や組織、肩書にとらわれず、仕事のできる人にできることをやらせました。 

信長の家臣、 豊臣秀吉(とよとみひでよし)  は信長のぞうり持ちという底辺の立場から、 信長に実力を認められて大出世を果たした一人です。 

合わせて読みたい:豊臣秀吉に学ぶ成り上がり力

信長は戦で負けて土地を追いやられた 流浪人たちを束ね兵力にしたり  、今でいう派遣社員のような足軽と呼ばれる人たちを お金で雇い戦に参加  させたりしました。

身分が低くても頭がよく実力がある人を積極的に自分のそばにおき、 最強のメンバーでもって勝負に出たのです。 

これは 聖徳太子(しょうとくたいし)  も取り入れた方法ですね。

合わせて読みたい:聖徳太子に学ぶ組織力

使える!処世術
部署や組織、年齢や性別に関係なく、それぞれの分野に特化したその道のプロをそばに置こう。

堕落した宗教を破壊

たき火, ホット, 火
 目に見えるものしか信じないリアリスト  だった彼は、皆が盲目的に信じ込んでいた仏教を否定しました。

国の混乱をいいことに、神様を利用して民衆から金と名声を集め力をつけていた宗教集団が彼には許せなかったんでしょう。

それと同時に信長は宗教の底知れぬ力を理解していました。

だからこそ ビジネスライクにキリスト教を受け入れ、その引き換えに鉄砲を大量に輸入したんです。 

使える!処世術
皆が妄信することを疑おう。そしてドライに利用してみよう。

大胆なのは情報を持っていたから

アウトライン, インターネット, カメラ

大胆な行動力で知られる織田信長ですが、豪快な行動を裏付けていたのは彼のストイックなほどの 情報収集能力があったからこそできたことでした。 

長篠の戦いでは鉄砲こそ注目されていますが、実は事前に「敵の中に裏切り者が出た」という内容の 偽の手紙  を書き、敵を混乱させたこともこの戦での勝敗を分けたといわれています。

目的(勝利)のためなら、どんな姑息なやり方でも手段を択ばない。彼は 戦では情報が制することを誰よりも知っていたといわれています。 

使える!処世術
常にアンテナを張っておこう。
情報通の人とお酒を飲んだり、派遣さんから聞き出したりして常に最新の情報を握っておこう。
もちろん自分の情報は漏らしてはいけません。

本能寺の変で自害?

織田信長は天下統一を目指し、部下たちの軍を全国に派遣して戦わせていました。

自らも戦場へ向かう途中、いつも通り京都にある本能寺(ほんのうじ:当時はホテルのように使っていた)でひと休みしていたところ、なんと岡山県に向かうはずであった部下の一人の 明智光秀(あけちみつひで)  が本能寺に軍を連れて押しかけ、 信長は燃え盛る本能寺で自害させられてしまったのです。 

織田信長を暗殺した部下の明智光秀
 「敵は(岡山ではなく)本能寺にあり」  と言って明智が自分の兵を京都へUターンさせたこのセリフはとても有名ですね。

この「本能寺の変」は 日本史史上最大のミステリー  と言われていて、今でも誰が明智のバックにいたのか、本当の黒幕は誰だったのかについて、50を超える説があるといわれています。

いかがでしたでしょうか?

織田信長から学べることはまだまだたくさん。ぜひ参考にしてみてください。


織田信長からもっと学ぼう

戦国時代の武将、織田信長はいかに部下を採用、育成し、最強軍団を作ることができたのかが書かれています。

日本のビジネスマンよ、織田信長に学べ! 戦国時代一の切れ者、織田信長が現代に蘇り、悩めるビジネスマンたちの為に経営塾を開いた。信長の生き方、戦い方に、動乱の世を勝ち抜いていく方法を学ぶ。(amazonより)

合わせて読みたい

石田三成から学ぶ構想力

偉人と崇められる人は私達と何が違うんでしょうか?
深堀りしてみると学べることはたくさん。
このブログではそんな 偉人たちから学ぶ処世術をご紹介します。  

天下分け目の関ヶ原で西軍の総大将として東軍徳川家康(とくがわいえやす)軍に敗れたことで知られる 石田三成(いしだみつなり)。 

今回は秀吉の右腕、石田三成!

うーん、超地味な印象しかないなぁ

歴史とは常に ”勝者”の歴史と言われていることもあり、関ヶ原で負けたことが理由で  石田三成は後世にわたってよい評判がない  可愛そうな武将です。

今日はそんな 石田三成の成功と失敗から学びたいと思います。 

そう、三成からは学ぶことがたくさんあるんだ。

石田三成のスゴイところ

White Petaled Flowers

頭がいいだけで戦では弱い、おまけに人望がなくて最後は裏切られて無念の死を遂げる、、、名だたる武将の影で 石田三成はそんなネガティブなイメージがつけられがちです。 

一方で石田三成は とても優秀な人としても知られています。 

石田三成がいたからこそ「太閤検地」や「刀狩り」など豊臣秀吉の政治は支えられていたといっても過言ではありません。

三成ってすごいじゃん!

秀吉が認めた三成の才能

織田信長同様、部下は身分ではなく「実力主義」の秀吉

人たらしと言われる豊臣秀吉に気に入られ最後まで そばに置かれたのが石田三成でした。 

当時は 戦で勝利を収めることが出世の条件  だったのにもかかわらず、 戦が苦手  で 武功を上げることができなかった三成を 秀吉はなぜ評価し続けたんでしょうか。 

合わせて読みたい:豊臣秀吉に学ぶ成り上がり力

三成は戦は苦手でも、 頭がよかった  と言われています。

 細かい計算やシステム作りが得意  だったことを秀吉に買われ、 太閤検地など全国的な統治システムを作り上げました。 

また、それまで土地によってバラバラだったモノの単位を統一し日本の商業を円滑にすすめさせたのも三成の功績です。

戦がすべての戦国時代に、頭脳でのし上がった人だったんだね。

褒美を断ってまで国に尽くした

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そんな優秀な部下三成に対して、秀吉は 「でかしたぞ、土地をやろう」  といって九州の土地をくれようとしますが、 三成はまさかのお断りしちゃうんです。 

当時は 任された土地の広さこそが武士の権力に直結  するのにもかかわらず、三成は「僕が幕府からいなくなれば国を整備する人がいなくなってしまうから」と、所領よりも国の整備を優先してしまうほど、 誠実に日本の未来を考えていた人だったんです。 

もー、ちゃっかりもらっとけばよかったのにー!

あの徳川家康が恐れた三成の知恵

徳川家康にとっては織田信長のぞうりもちからいきなり出世してきた成り上がりの 豊臣秀吉は目の上のたんこぶのような存在  でした。

ただそれ以上に家康が恐れたと言われていたのが、その秀吉の家臣で 頭の良い石田三成の存在でした。 

豊臣秀吉の死後 「俺のターン!」と言わんばかりに  我が物顔で政治の権力を欲しいものにしていた家康  に対し、石田三成は「このままでは大切に守ってきた豊臣政権が奪われてしまう…!」という危機感をもとに、家康から豊臣秀頼(豊臣秀吉の子ども)を守るという大義名分によって、家康に不満を抱く各地の大名たちに手紙を送り、 「秀吉さんの恩義を今返すときです」と多くの兵を味方に付けることに成功しました。 

それにビビった家康も同じように必死に裏で動き、諸大名たちと密約を交わしました。 「三成の味方にならなければ、あの土地あげるよ」  と利益をちらつかせることでたくさんの武将を味方につけてしまったのです。

結果はみなさんもご存じのとおり、三成の応援に来てくれるはずだった毛利軍が家康と密約を交わしていたため、応戦してくれず、 三成率いる西軍はあっという間に総崩れとなりました。 

人の心、測りがたし。

豊臣家のために一緒に戦おうと言ってくれた人たちに次々と裏切られ、 豊臣家への忠誠よりも現実的な利に走る人のもろさを嘆いて  三成が漏らした言葉です。

石田三成に学ぶ構想力

Person Using Laptop Computer on Brown Wooden Table

三成は 戦のない太平の世  にするために、秀吉天下統一の後必死になって 国をまとめる仕組みづくりに力を注ぎました。 

大阪の陣でも、関ヶ原の戦いでも、 権力が欲しかったのではなく  ただ 「豊臣家を守るために」  必死になって最後まで戦った家臣でした。

どれもこれも、すべてはただまっすぐに、 日本の未来を構想していたからこそ。 

ただ、褒美を断ってしまうほどの三成には、 利益のためなら人をも裏切る諸大名たちの気持ちは到底理解できず  、そういった「人の心」を測ることに関してまでは読むことができなかった。

 まっすぐさがあだになった。 

それが敗戦の原因と言われています。

人情だけではうまくはいかない

Eight Person Huddling

石田三成の失敗からもたくさん学ぶことがあります。

武士の世界はbackground義理人情を重んじる文化がありますが、このころからもう権力者間の裏切りが定番になってきますね。[/su_highlight]

background関ヶ原の戦いが歴史に残る戦い[/su_highlight] なのは、日本中の大名軍が戦ったこともありますが、数として有利だった三成の軍が負けてしまったという逆転劇と、backgroundそれが裏切りにまみれた戦いだったということが言えると思います。[/su_highlight]

人を信じることは大切ですが、信じ「きる」ことは利口とは言えないbackground[/su_highlight] ことが石田三成の失敗から学べます。

使える!処世術
大切なのは、信じられる仲間をつくることですね。
でもここぞという正念場ではその仲間たちを100%信頼してはいけません。
突然会社を辞める人もいれば、陰であなたの不平不満を言ってる人もいることを意識しておきましょう。

秀才ぶりは隠しておく

Man Laughing Beside Computer Monitor

 平安時代の菅原道真(すがわらのみちざね)  からも学べますが、やはり「秀才」タイプでものごとをハッキリ指摘してしまう人は鼻につくため、上司に気に入られたとしても、その後ろ盾がなくなってしまえば たちまち仲間に足を引っ張られてしまいます。 

能ある鷹は爪を隠す

とはよくできた言葉で。

ただ誠実に国の未来を考えていたとしても、その頭の良さやコミュニケーション下手な性格から、「あいつなんかムカつくんだよな」「頭がいいからなんか企んでそうなんだよな」と 自然と敵を作ってしまい、仲間から裏切られてしまいます。 

使える!処世術
たとえ優秀だとしても、その一面をみせるのはあなたを評価する上司の前だけにしておきましょう。
仲間や先輩の前ではあくまでも何も知らないバカを演じていた方が足を引っ張られることはありません。

いかがでしたでしょうか?

三成から学べることはまだまだたくさん。ぜひ参考にしてみてください。

なんだかかわいそうな人だなぁ

どれだけの秀才でも世の中が受け入れなければつらい運命をたどることになる。
これっていつの時代も変わらないきがするよ。

石田三成からもっと学ぼう

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