聖徳太子から学ぶ組織力

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今日はこの人から学びます

偉人と崇められる人は私達と何が違うんでしょうか?
深堀りしてみると学べることはたくさん。
このブログではそんな偉人たちから学ぶ処世術をご紹介します。

聖徳太子の名前を知らない日本人はいないはず。

その顔はよく知ってる、、けど実際なにを成し遂げてこんなに有名になったんでしょうか?

聖徳太子は日本に仏教を広めた

Brown Buddha Figurine

今でこそ日本にはたくさんのお寺があって、仏教が日本の中で普及している時代ですが、実は聖徳太子の時代(600年頃)の日本では仏教はインド・中国・韓国から伝わってきた”外国の宗教”として嫌煙されてたんです。

日本はもともと神道の国だった

Pagoda in Gray Scale Shot

日本には「神道」という古くから伝わる宗教がありました。

太陽や自然を神様とする宗教です。(神社は神道の象徴ですね)

仏教は日本にとって新しい宗教だった

Brass Buddha Figurine on Black Surface

文明が発展している外国(中国や韓国)はみんな仏教を信仰していたので、そんな先進国のトレンドに乗っかろうとする有力者曽我(そが)氏と、古くからの神道を守ろうとする有力者物部(もののべ)氏が代々バトルしたことも有名ですね。

彼らは宗教が理由でずっと仲が悪かったんです。

聖徳太子はそんな曽我氏のそばで熱く仏教を信仰し、のちに「憲法」で仏教を国のオフィシャル宗教として仏教を採用することになります。

聖徳太子は遣隋使を送大国と交流した

Brown Sailing Boat on the Sea during Sunset

先進国にいち早く追いつこうと、聖徳太子は隋(中国)に使いをおくりました。

「遣隋使」として外国の政治や文化を学ぶために小野妹子を中国へ派遣させたことは有名ですね。

こういった海外留学制度が日本の文化や政治を発展させたことは言うまでもありません。

当時聖徳太子が小野妹子に持たせた中国の王に対する「手紙」のインパクトが強いことからその一節はいまでも有名です。

日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。
『日本書紀』

当時の隋はアジアの中で一番パワフルな強国で、そこに日本のような小国が手紙を送ったわけですが、その内容がまずかったことから隋を怒らせてしまったのです。

「太陽が昇る国日本から、太陽が沈む国隋へ手紙を送ります」とかなり失礼な内容だったからです。

ただこの挑発が功を奏して、中国は日本と対等に接するようになったんです。

聖徳太子は一流の制度を作った

Black and White Mountain over Yellow White and Blue Sky

 

摂政になり天皇から政治を任された聖徳太子は外国のように日本を一流の国にしようとたくさんの改革を行いました。

当時の日本はアジアの大国中国(当時の隋)から「野蛮な国」と言われてバカにされていました。

法もなければ役人の身分制度も整っていなかったからです。

聖徳太子の十七条憲法

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聖徳太子の仕事で一番有名なのが「十七条憲法」ですね。

不思議なことに今読んでもグッとくる内容です。

聖徳太子の冠位十二階

 

また、聖徳太子はそれまで血筋や財産で決められていた役人の位を取り払い、能力だけで評価される「冠位十二階」も制定しました。

今回はそんな聖徳太子の数々の偉業を成功させた、彼の処世術をご紹介します。

聖徳太子から学ぶ組織力

Selective Focus Photography of Man Sitting Near Desk

 

聖徳太子は外国の文化や政治に興味をもち、当時日本より文化が発展していたインドや、中国、朝鮮の異文化を素直に受け入れました。

仏教という異国の宗教を熱く信仰し、民に広めることができたのも彼の底知れない好奇心と、自分の組織(国)を一流にしたいという強い気持ちがあったからです。

使える!処世術

どれだけ自分の人生が安定していても、常に現状に満足せずに、新しい考え方やアイデアを受け入れてみよう。
一流の企業や組織のやり方を学び、真似てみよう。

組織を強くするための制度作り

Three Women and Two Men Watching on Laptop Computer on Table

聖徳太子はまだ日本になかった憲法や階級制をつくり、人としての行動指針や、能力に応じた評価制度をもうけました。

多くの人を動かすには、ただカリスマ性があるだけでは足りません。

信じるもの(仏教)とルール(法律)を整えたからこそ、彼の名前はいまだに歴史に刻まれているのです。

使える!処世術

たくさんの人を引っ張っていくには、心をひとつにするための「ルール」をつくりましょう。

自分の組織に誇りを持つ

50 U.s. Dollar Banknote

聖徳太子は、当時の大国、隋(中国)にバカにされないように、平等に外交できるよう強気にでた手紙を出し、結果的にそれが功を奏しました。

聖徳太子には、自分の組織(国)を誇りに思い、相手のパワーに臆することなく、堂々と接する度胸がありました。

使える!処世術

例え相手が幹部でも、大企業でも弱腰にならず堂々としていましょう。
むやみに媚びるのではなく、堂々とした態度をとることで相手も対等にみてくれます。

いかがでしたでしょうか?

過去の偉人から学べることはまだまだたくさん!

卑弥呼から学ぶプロデュース力

偉人と崇められる人は私達と何が違うんでしょうか?
深堀りしてみると学べることはたくさん。
このブログではそんな偉人たちから学ぶ処世術をご紹介します。

日本史といえばまずはこの人!

卑弥呼ね、いっちばん最初の人だ!

歴史の教科書にでてくるイラストはいまだに覚えているってひとも多いと思います。それだけ卑弥呼ってなんだかインパクトありましたよね。

そもそもどうしてこんなにも有名なんでしょうか。ちょっとおさらいしてみましょう。

卑弥呼は日本の歴史上確認できる最初の登場人物

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最初の日本人の存在は、おとなり中国の歴史書『三国志』の一部「魏志倭人伝」で初めて明らかになりました。

もしそこに卑弥呼のことがかかれていなければ、その当時日本人が存在したことすら危うかったかもしれません。

そうとう貴重な存在ということはわかりますよね。

だからこそ歴史家たちはこの初登場した謎の女「卑弥呼」に執着するんですね。

卑弥呼は魏(中国)から初めて国王として認められた

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当時の魏・呉・蜀など中国にある国々はアジア諸国で世界的に最先端な国として、かなりのパワーを持っていました。

そんな大国から、おそれおおくも奴国(日本)の国王としての称号(例の金印です)をもらうことに成功したのも卑弥呼です。

卑弥呼は争いや飢餓で混乱する国を治めた女王

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卑弥呼の時代はまだ日本という一つの国はなく、今でいう都道府県みたいな組織がそれぞれ独立してしのぎを削っていました。

そんな組織同士が領土や権力をめぐって毎日のようにバトルしていた混乱の時代。

しかも当時は雨が全然降らない時期が平気で何か月も続いたりで、自然からとれるすべての食糧が尽きてしまい、人々が飢えに苦しんでいる時期でもありました。

毎日戦争なのに食べ物ないとかもう地獄…

そんな地獄の時代に国を治めたのが卑弥呼でした。

今回はそんな卑弥呼の偉業を成功させた、彼女の処世術をご紹介します。

卑弥呼から学ぶ自己プロデュース力

Woman Wearing Pink Collared Half-sleeved Top

歴史をたどると、卑弥呼は自己プロデュース力がとても高かったといえます。

卑弥呼は邪馬台国の王になる前から「自然を操ることができる人」として成功しました。

卑弥呼は神との意思疎通ができる「シャーマン」として雨を降らせる不思議な能力があると信じられ崇められていました。

卑弥呼が本当に能力があったかはわかりませんが、雨が降るまでただただ祈り続けたと言われています。

3日たっても7日たっても10日たってもまだ祈り続ける…30日目でようやく雨が降ったらそれはもう「卑弥呼様のおかげじゃー!」になってしまうわけです。

使える!処世術
ものはいいよう!「私のおかげ」と思わせよう!
要はなんでも自分がいたから成功したと周りに思わせることが大切ということです。
このプロジェクトが成功したのはA社をその気にさせた自分のおかげ!
部下がやる気を出し始めたのは自分のおかげ!
そう周りに思わせることであなたの評価は上がっていきます。

王女になった後は銅鏡(大きな鏡)を使って神秘的な世界を演出しました。

マジシャンや超能力者はテレビに出る時も不思議な服を着て、派手な音楽や照明でミステリアスな演出をしていますね。

当時はそんな技術はないですが、卑弥呼は民衆の前に姿を現す際、夜明けに大量の鏡を使って太陽を反射させ民衆の前でミステリアスな演出をしてその威厳を保っていたといわれています。

使える!処世術
会社の重役が高い時計や靴を身にまとっているのは単にお金があるからではなく、お金をもっていることを演出したいからです。
見せたい自分のイメージ通りに見てほしいなら、服装や身なり、言葉遣いにまで気を遣いましょう。

強い者に媚びてお墨付きをもらう

Man and Women Hand Shake

卑弥呼が治めていた邪馬台国には敵対する勢力(狗奴国)がいました。

彼らはことあるごとに邪馬台国に戦いを仕掛けてくるせいで卑弥呼を悩ませていました。

そこで卑弥呼はお隣の大国である魏(今の中国)に遣いを送って、奴隷や高価な品を貢ぎ、自分をアピールしたんです。

魏の王にすっかり気に入られた卑弥呼はお返しに「金印」をもらい、それを使うことでライバルの組織に「私のバックには大国がおんねんぞ」と舐められないように、周りを威嚇することに成功したんです。

使える!処世術
組織の権力者には気に入られた方が得です。
多少汚い手をつかってでも仲良くしておくことで「あいつは社長にきにいられてるからなぁ変なことできないな」と、周りをけん制することができます。

強い洞察力がなせる自己プロデュース

Person Using Map and Laptop on Wooden Surface

となりの中国では国が大きく3つに分かれていました(いわゆる三国志時代です)。

魏と呉と蜀という3大勢力に分かれ互いに勢力を拡大しながら互いを制圧しようと争いが続いていた時代だったんです。

魏が優勢と思ったら、今度は呉が優勢と戦線はめまぐるしく変化しました。

魏か呉どちらに媚びたらいいのか、卑弥呼はきっと悩んだことでしょう。

そんな中勝利が魏に傾き始めたのを見極め卑弥呼はいち早く魏に遣いを送ったんです。

その素早い行動は未だに英断として残っています。

使える!処世術
組織の派閥や権力争いにはアンテナを立てていた方が得です。
誰に従うべきか、次期リーダーを見極めるためにも冷静に洞察しましょう。

いかがでしたでしょうか?

過去の偉人から学べることはまだまだたくさんあります。

卑弥呼からもっと学ぼう

邪馬台国の女王「卑弥呼」の正体は、大きな謎です。生きていた時代や名前もわかっているのに、これほど実像が見えない人物が他にあるでしょうか。本書では、卑弥呼という人物の実像に迫るべく、9つの説を取り上げました。記紀編纂当時から言われているもの、最新の研究成果から提唱されたものなど、卑弥呼のミステリアスさを教えてくれます。

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