賢者は歴史に学ぶらしい

ども!歴史が苦手なあすかです。

はじめまして、歴史大好きなはじめと申します。

このブログの著者は一部上場企業で働くOLです。

社会人になって改めて歴史を振り返ると、   驚くほど日常に役立つヒントがちりばめられていることに気づきました。 

どうしてもっと学生のころにこのオモシロさに気づけなかったんだろう…

そう後悔しつつも、   もう一度楽しく学びなおしています。  

働く皆さんの役に立てるような処世術を、

何でも知っている歴史博士の   はじめくんと一緒に紹介していこうと思います。  

偉人から学ぼう

織田信長から学ぶ破壊力

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今日はこの人から学びます。

室町幕府を倒幕し、愛知県から天下統一の野望を抱いた日本史上もっとも強烈なリーダー   織田信長(おだのぶなが)。  

今回はそんな織田信長から   現状を打破する「破壊力」   を学びたいと思います。

ついに来ました!織田信長!

あー!ホトトギス殺しちゃう人でしょー!

(んー間違ってはない…)

そう、日本人の好きな戦国武将No.1である織田信長は中世の日本を近世へと転換させた   「改革者」として有名。  

古い体制をことごとく破壊し、戦国の世を束ね、「天下統一」を夢見たリーダーだ。

織田信長はココがすごい

ガイダンス, グローブ, ナビゲーション
外国文化を積極的に取り入れ日本を中世から近世にシフトさせた
身分や肩書にとらわれない実力主義者
戦は武力ではなく情報戦ということを知っていた
身分や肩書にとらわれない実力主義者
誰でも扱える鉄砲を駆使してそれまでの戦を変えた
関所や通行税を撤廃し楽市楽座を実施し経済を活性化させた
政治と宗教を分断し、比叡山を焼き討ちにした

そんな信長の武勇伝を紹介しよう。

桶狭間の戦いで勝利

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「桶狭間今川義元血戦 」中心にいるのが隙を突かれて慌てる今川義元です

桶狭間の戦いは当時東海地方を牛耳っていた今川義元に 「桶狭間の戦い」の勝利が信長を一躍有名にしたデビュー戦。 

敵の今川軍に対して織田軍は1/10の兵力しかなかったようですが、今川軍が 休憩している隙をついて攻め込むという独特の手法  が有名ですね。

この戦のあとにとった織田信長の行動も有名です。戦が終わると、活躍した武士に褒美を与える習慣があります。

普通は敵の首を勝ち取った者をMVPにたたえるところを、信長は「敵が休憩している」という情報を持ってきた 見張り役に1番の褒美を与えた  と記録されています。

ゴールを決めた人はなくて情報を持ってきた人に褒美を与えたんだね。

このことから信長が何を大切にしていたかが見えてくるよね。

比叡山・延暦寺の焼き討ち

「延暦寺」の画像検索結果

信長の残虐さが垣間見えるのがこの 「比叡山・延暦寺の焼き討ち」です。 

今でこそ神社やお寺は街にひっそりと溶け込んでいますが、戦国時代では天皇や大名も口出しできないほど 権力を持っていた一大宗教勢力でした。 

そして彼らはキリスト教を保護する 織田信長を敵対し何度も一揆をおこしていました。 

信長はこういった強大な 仏教勢力を徹底的に弾圧します。 

比叡山延暦寺の焼き討ちは女性や子供関係なく首を切るように命じた信長の 「残虐さ」を表す事件として語られています。 

これってちょっとやり過ぎじゃない?恨みかいそう…

信長のこの徹底した破壊は良くも悪くも周りに大きな影響を与えたんだ。

長篠の戦で武田家に勝利

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絵画における長篠合戦

長篠の戦は、長野や静岡を治める大名(風林火山で有名な)武田信玄の息子、武田勝頼を倒した戦いとして 信長史上有名な戦のひとつです。 

絵画にあるように、馬の侵入を防ぐ馬防柵(ばぼうさく)を構え、ポルトガルから伝わってきたばかりの 最新武器「鉄砲」を駆使して闘いました。 

当時武田軍は 戦国最強の騎馬隊。 

「負け知らず」でその名をとどろかせていましたが、鉄砲の前ではその戦力もむなしく 織田軍に敗れてしまいました。 

武士たちを鉄砲でうつのはなんだか卑怯な感じだなぁ

信長が鉄砲を使いだしたことで日本の戦をガラリとかえていったんだ。


織田信長から学ぶ破壊力

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目的のためなら どんなものでも徹底的に破壊する。 

これが織田信長のモットーであり、ルールでもありました。

 伝統や古い習慣をとことん破壊していく  彼のこの強引なスタイルは、まるで少年漫画の主人公的キャラクターのようで、現状維持が得意な 日本のサラリーマンが憧れてしまう  というのもなんだか納得できますよね。

古い身分制度を徹底的に破壊

おめでとう, ジョイントベンチャー, チームワーク

織田信長は徹底的な実力主義者であり、現実主義者であるという点です。

 目に見えないものを嫌い  古くからある 伝統やつまらない習慣を嫌いました。 

当時の日本は身分制度や肩書で人の価値が決まる時代。

生まれ次第で人の一生が決まってしまうことが当たり前の時代でした。

信長はそんな身分制度を破壊し、 立場や組織、肩書にとらわれず、仕事のできる人にできることをやらせました。 

信長の家臣、 豊臣秀吉(とよとみひでよし)  は信長のぞうり持ちという底辺の立場から、 信長に実力を認められて大出世を果たした一人です。 

合わせて読みたい:豊臣秀吉に学ぶ成り上がり力

信長は戦で負けて土地を追いやられた 流浪人たちを束ね兵力にしたり  、今でいう派遣社員のような足軽と呼ばれる人たちを お金で雇い戦に参加  させたりしました。

身分が低くても頭がよく実力がある人を積極的に自分のそばにおき、 最強のメンバーでもって勝負に出たのです。 

これは 聖徳太子(しょうとくたいし)  も取り入れた方法ですね。

合わせて読みたい:聖徳太子に学ぶ組織力

使える!処世術
部署や組織、年齢や性別に関係なく、それぞれの分野に特化したその道のプロをそばに置こう。

堕落した宗教を破壊

たき火, ホット, 火
 目に見えるものしか信じないリアリスト  だった彼は、皆が盲目的に信じ込んでいた仏教を否定しました。

国の混乱をいいことに、神様を利用して民衆から金と名声を集め力をつけていた宗教集団が彼には許せなかったんでしょう。

それと同時に信長は宗教の底知れぬ力を理解していました。

だからこそ ビジネスライクにキリスト教を受け入れ、その引き換えに鉄砲を大量に輸入したんです。 

使える!処世術
皆が妄信することを疑おう。そしてドライに利用してみよう。

大胆なのは情報を持っていたから

アウトライン, インターネット, カメラ

大胆な行動力で知られる織田信長ですが、豪快な行動を裏付けていたのは彼のストイックなほどの 情報収集能力があったからこそできたことでした。 

長篠の戦いでは鉄砲こそ注目されていますが、実は事前に「敵の中に裏切り者が出た」という内容の 偽の手紙  を書き、敵を混乱させたこともこの戦での勝敗を分けたといわれています。

目的(勝利)のためなら、どんな姑息なやり方でも手段を択ばない。彼は 戦では情報が制することを誰よりも知っていたといわれています。 

使える!処世術
常にアンテナを張っておこう。
情報通の人とお酒を飲んだり、派遣さんから聞き出したりして常に最新の情報を握っておこう。
もちろん自分の情報は漏らしてはいけません。

本能寺の変で自害?

織田信長は天下統一を目指し、部下たちの軍を全国に派遣して戦わせていました。

自らも戦場へ向かう途中、いつも通り京都にある本能寺(ほんのうじ:当時はホテルのように使っていた)でひと休みしていたところ、なんと岡山県に向かうはずであった部下の一人の 明智光秀(あけちみつひで)  が本能寺に軍を連れて押しかけ、 信長は燃え盛る本能寺で自害させられてしまったのです。 

織田信長を暗殺した部下の明智光秀
 「敵は(岡山ではなく)本能寺にあり」  と言って明智が自分の兵を京都へUターンさせたこのセリフはとても有名ですね。

この「本能寺の変」は 日本史史上最大のミステリー  と言われていて、今でも誰が明智のバックにいたのか、本当の黒幕は誰だったのかについて、50を超える説があるといわれています。

いかがでしたでしょうか?

織田信長から学べることはまだまだたくさん。ぜひ参考にしてみてください。


織田信長からもっと学ぼう

戦国時代の武将、織田信長はいかに部下を採用、育成し、最強軍団を作ることができたのかが書かれています。

日本のビジネスマンよ、織田信長に学べ! 戦国時代一の切れ者、織田信長が現代に蘇り、悩めるビジネスマンたちの為に経営塾を開いた。信長の生き方、戦い方に、動乱の世を勝ち抜いていく方法を学ぶ。(amazonより)

合わせて読みたい

勝海舟から学ぶ戦略的行動力

江戸時代活躍し明治維新の影の立役者として知られる勝海舟(かつかいしゅう)。

今回はそんな勝海舟から戦略的な行動力を学びたいと思います。

さぁ!今日は勝海舟先生だ!

カツカイシュウ?

そう、明治維新の影のプロデューサーともいえる人だよ!

そう、明治維新というと坂本龍馬(さかもとりょうま)や西郷隆盛(さいごうたかもり)、大久保利通(おおくぼとしみち)たちが注目を浴びていますが、

勝海舟がいなければこの革命はなかったといっていいほど 日本の歴史上もっとも偉大な偉人のひとり、それが勝海舟なんです。 

勝海舟はココがすごい

ガイダンス, グローブ, ナビゲーション

外国文化を積極的に取り入れ日本を中世から近世にシフトさせた

外交についての意見書を何度も幕府に送り幕臣(役人)になった

日本の代表者として福沢諭吉とともにアメリカへ渡り民衆のための政治を学んだ

軍艦奉行として外国に負けない海軍をつくるため努力した

坂本龍馬を弟子として指導した

江戸幕府の軍事総裁(防衛大臣)になった

幕府を攻撃しようとする西郷隆盛(薩摩藩)と会談し江戸無血開城を成功させ150万人の命を救った

外国に学び日本の未来を考えた男

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勝海舟はもともと江戸幕府に従える幕臣(ばくしん:政府に仕える公務員のようなもの)の家に生まれました。

若いころから借金をしてまで必死でオランダ語の辞書を手に入れ、独学で蘭学(らんがく:オランダの政治や経済そして軍事のことなど)を勉強した勉強熱心な青年でした。

外国のことを勉強していくうちに、 海外にとても興味を持ち、次第に日本の在り方に疑問を持つようになりました。 

当時の日本はペリーの黒船来航で混乱し、 日本の中心である江戸幕府はもはや外交をどう進めるべきかわからなくなっていた頃。 

セーリング, ボート, マスト

勝海舟はそんな幕府を見かねて、何度も「意見書」を出し、 「日本は外国と同じように強い海軍を持ち、外国と対等に渡り合える強い国になるべきだ」  と訴えました。

勝海舟の意見書が幕府に届いたことで、彼の能力が認められ、勝海舟幕臣(政府に使える役人)となり アメリカにわたることになりました。 

勝海舟の熱い思いが幕府に届いたんだね。

勝海舟って熱い男なんだね!

外国で”民衆のための”政治を学んだ

Person Showing Usa Flag

勝海舟は先進国の軍事力や、政治、経済の発展に 衝撃を受けました。 

アメリカでは国民の投票で国のリーダー(大統領)が選ばれていることも、身分や生まれで世襲されていくことが当然だった 当時の日本人には目からうろこだったのです。 

日本に帰国した勝海舟は幕府の政治を担う重役に渡米の感想を聞かれ、こう報告したと言われています。

アメリカでは、政府でも民間でも、およそ上に立つものは、皆その地位相応に利口でございます。
この点ばかりは全く我が国と反対のように思えます。

わーこれは喧嘩うってるっしょw

勝海舟は異国の地で自分の国のことを考えました。

今の日本は各藩の利権や徳川家の存続なんていう わー!これは喧嘩売ってるw 「私利私欲」ばかりを気にしている。[/su_highlight]

そんな小さなことではなくもっと大きな わー!これは喧嘩売ってるw 「公(おおやけ)」の目線で日本を考えていかなければならない[/su_highlight] と決意したのです。

坂本龍馬を育てた師匠

ペリーの黒船来航をきっかけに、日本では外国に対する姿勢をめぐり考え方が真っ二つに分かれ、それが理由で 日本の中での内紛がたえませんでした。 

とくに西日本の各藩(外国なんて追い払え派)と江戸幕府(怖いから外国の言いなりになっとこう派)はとても仲が悪く、殺し合いのバトルが続いていました。

そんな中、坂本龍馬もまた外国に対して弱腰な幕府に対して物申すため、故郷(高知)を捨てて幕府の軍艦を指揮していた幕臣、 勝海舟に会いに行きました。 

外国の言いなりになる幕府も、外国の船をやっつけようとしないあなたの海軍も、みんな腰抜けじゃ!

今の日本のままでは外国と戦っても負ける。島国の日本が勝つには強い海軍が必要だ。
違うかい?

そ、そうじゃが…?

強い海軍をつくるには金が要る。金を作るには貿易が必要だ。
今の日本はつまらん内紛なんかしてる場合じゃない。
今こそ一致団結して、外国と貿易をして稼がないといけない時なんだ。

(なるほど!)…勝先生!ついていきます!

幕府を痛烈に批判する坂本竜馬を諭し、今こそ 外国に対し強い日本にならなくてはならないと説得しました。 

そんな勝海舟に感動した龍馬は彼の弟子として 勝海舟の下で学ぶことを決めました。 

江戸無血開城を成功させた

西郷隆盛と勝海舟

外国に対する国のスタイルで日本中が混乱していた頃、勝海舟は幕府の代表として長州藩(山口県)・薩摩藩(鹿児島県)・会津藩(福島県)の アンチ幕府勢力の人たちとの交渉役を任されていました。 

当時の幕府は、日本に不利な条件でアメリカと条約を結んでしまったり、それに反対した勢力を暗殺するなど、酷い政治をしていたことから民衆からも嫌われ、 時代は新しいリーダーを求めていました。 

そんな時代も後押しして、西郷隆盛たち倒幕派(アンチ幕府)が江戸城を攻めようとしたとき、勝海舟は西郷隆盛と会談し、 戦わずして城を明け渡すことを約束しました。 

幕府軍は戦うことはできる。
ただ戦えば民衆が苦しみ、外国が攻めてきて日本は植民地になってしまう。

これにより勝海舟は自ら仕えた江戸幕府を終わらせ、自らの上司である徳川慶喜(よしのぶ)を江戸から静岡へ移し、 江戸時代を終わらせたのでした。

この行動は  恥知らずで腰抜けな「不忠者」としてバッシング  を受けましたが、この時の勝海舟の決断がなければ、150万人が暮らす江戸は炎の海となり、民衆たちが血を流す結果になっていました。 勝海舟の決断で民衆は救われたのです。 

負けて戦に勝つってことね。

その決断は当時の幕府にとってはすごいことだったんだ。


勝海舟から学ぶ現実的行動力

めがね, カレッジ, データ

勝海舟が必死に独学で蘭学を学び、オランダ語を話せるようになったことから、彼は外国のことを知ることができ、果ては幕府に能力を認められ 幕臣として働くことができました。 

そして日本を代表してアメリカへ渡り、誰よりも日本の未来を案じ、当時の日本にかけているものを正確に理解し、 特別な立場から日本の政治に意見することができる存在になれました。 

今の自分の環境に決して満足せずに、同僚や先輩・後輩、他部署やライバル企業にいたるまで、貪欲に学ぼうとする姿勢は結果的に、誰にも浮かばないアイデアや、誰も経験したことのないことを得ることができるため、 組織にとって必要な特別な人材になれます。 

使える!処世術
自分にしかできないことを見つけよう。
そしてその能力を今のチームや、会社、世の中のために発揮しよう。

理想のために現実を見る

ぼかし, ハンド, ルート

勝海舟は軍艦奉行として、外国に負けたくない!植民地なんかになるもんか!いつか対等に渡り合える強い日本を作るんだ!という   高い理想  を胸に、外国と仲良くする   現実的な道  を選びました。

まずは自分に足りないものを貪欲に学んでみよう。

その学びで得た意見があれば何度もなんども発信しよう。

すべては日本が外国に支配されないように 強い海軍を持つという目的  のために、海軍を養成する費用を捻出するために 外国との貿易を選んだのです。 

私たちは日常的にごく自然に目先の利益や勝敗にとらわれてしまいがちですが、勝海舟のように自分の 思い描いた理想のためにいたってドライで冷静に行動すること  こそが、もっと大きなリターンを得られるということを学ばなくてはいけません。

使える!処世術
恥ずかしがらずに、理想を語ろう。
そのあとに必ずどうすれば実現できるかをセットで語ろう。

私(自分)よりも公を重視する

おとこ, ほほえむ, アダルト

勝海舟がアメリカで学んだ民衆のための政治はまさにこれといえるでしょう。

勝海舟は私利私欲で腐敗した幕府を批判し、民衆を意識した政治こそが大切だと言い続けました。

彼のこの精神があったからこそ、自分たちの勝利や、名誉や、プライドなんかよりも、 日本の未来を優先できたからこそ、江戸無血開城は成功に終わったんだといえます。 

使える!処世術
自分の私利私欲より、チームや組織、会社の繁栄を考えよう。

やっぱり勝海舟先生はすごい人だ!

すごい!よく見たらイケメンだし好き!


いかがでしたでしょうか?

勝海舟から学べることはまだまだたくさん。

ぜひ参考にしてみてください。

勝海舟にもっと学ぼう

とっても読みやすく勝海舟という人がもっと身近に感じます。


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