源頼朝から学ぶハッタリ力

今日はこの人から学びます

偉人と崇められる人は私達と何が違うんでしょうか?
深堀りしてみると学べることはたくさん。
このブログではそんな偉人たちから学ぶ処世術をご紹介します。

源頼朝のすごいところ

鎌倉時代に一躍日本を統治した「源氏」。

源氏の中で有名なのがそう、源頼朝(みなもとのよりとも)ですよね。

この顔教科書で見たことあるー!

そう、鎌倉時代とセットで出てくるカッコいい武士だ!

教科書の写真を見て「あらイケメンw」とおもった女子は少なくないはず。

なんかすごいってことは知っているけど、実際は何をした人かというと…

源頼朝は鎌倉幕府を築いた男

「鶴岡八幡宮」の画像検索結果

源頼朝は「良い国つくろう」(って覚えましたね)の鎌倉幕府最初のボスです。

(後に1185年だったと教科書が帰られてしまいました)朝廷(天皇)から征夷大将軍に任じられ鎌倉幕府を開き、それまでのセレブな貴族中心ではなく、武士中心の武家政治を始めたんです。

頼朝さんはまさにキングオブ武士なんだ!

そしてその後600年以上も続く息の長い幕府体制を作り上げたまさに偉人。

平安時代の武士たちは貴族たちの兵隊としてその地位を確立していましたが、政治にかかわることはおろか、貴族から対等に扱ってもらえていませんでした。

へー武士も最初から偉かったわけじゃないんだねー

言われるがままに戦場に行っては命がけで戦う日々、力はあるのになぜか下っ端のまま…そんなことに不満を抱く武士たちはたくさんいました。

武士として育った頼朝はそんな武士たちを「武士中心の世の中にしようではないか!」と鼓舞してともに戦い、勝利したんです。

源頼朝から学ぶハッタリ力

頼朝は源家の御曹司として生まれた恵まれた子どもでしたが、お父さんが平家に負けた後は伊豆に流罪になり、一緒に戦う兵も40人ほどに落ちぶれてしまいました。

すこしでも動けばすぐに平家が命を狙いにくるいわば指名手配犯のような扱いを受けていました。

そんな頼朝はどうやって平家を倒すほどの兵をあつめることができたんでしょうか?

仲間がほとんどいなかった頼朝は関東朝廷のある京都へ向かう道中、”ある方法で”どんどんと仲間を増やしたんです。

頼朝は平家に不満を抱いている豪族たちに手紙を送り、声高らかに「この戦いに勝てば”関東の土地はすべて頼朝に任せる”と天皇に近い人から言われている」 という令旨(命令書)を見せつけたんです。

当時平家に土地の権利を脅かされていた各地の豪族たちは「それならば!」と一気に戦いに協力しました。

・・・でもこれは頼朝の嘘。

え?そんなのありなの?!

どんなことでも後に偉人となれば正当化されるんだね。

リスクが大きい戦で味方してくれる人たちがいないことを知っていた頼朝の苦し紛れの戦略がハッタリだったということです。

でもその嘘がたくさんの人たちを動かし、最初は40人だった見方もみるみるうちに20万人に膨れ上がり、最終的には壇ノ浦の戦い(山口県)で平家を倒すことに成功するんです。

使える!処世術
権力者のお墨付きとあらば周りの人たちの見方が一気に変わるんですね。
嘘はリスクが大きいですが、いざという時は「取締役もこの案ほめてくださいました」というハッタリをかまして仲間を集めましょう。

いかがでしたでしょうか?

過去の偉人から学べることはまだまだたくさん!

源頼朝からもっと学ぼう

源氏はいかにして平家を打倒し、武士政権を樹立していったのか。その解明の鍵は、「源源合戦」にあった。また、義経は「戦術」の天才でありながらも頼朝の「戦略」を理解することができなかった。
日本が八百年にわたって錯覚してきた「平家物語」、そして「義経伝説」の虚妄を抉る。

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